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分類

佛画と言ってもやはり分れているんですね。

浄土教画 ..浄土変相

変相図..佛教説話図 

顕教画..大乗佛教

密教画..両界曼荼羅、別尊曼荼羅

佛教人物画..羅漢図

中でもわたしは、密教画の別尊曼荼羅には大変に興味があります。

 

 

 

 

感謝

先生を尊敬できる人生は幸せな人生です。

わたしは、御世話様になった先生の事は忘れないですね。

素晴らしい御言葉と佛画の名前(雅号)くださいました先生に今、感謝の気持ちを贈りたいですね。

謹啓

わたしの大家ノ先生は、音まで極めた

銘を大切に

一生懸命に精進いたします。勢神

謹白

楽しい想像

わたしが大家勢神を許されましたのは、十代でしたね。

佛画は十六から佛画を勉強しております。

冗談ですが、

もし、遠い将来この佛教古美術 勢観の後継者が現れましたら わたしは、

この勢神の名前(雅号)共に都づくりノ十三尊佛の掛軸を受け継がせますね。

佛教古美術 勢観  二代目勢神

とか言ってらおもしろいですね。

そしたらわたしは、伝授師でも名乗り

北側の座布団にでも座って

伝授師 初代勢神

なんて言ってるんでしょうね。

夢の話ですけどね。

 

 

 

 

 

由来

わたしに画を教えてくださった方はもう一方いらっしゃるんですね。

ある日、わたしがいつもの通り佛画を描いておりましたら、通りすがり人がですね。

『今、入って行った人いるだろ?あれは日本画の大家だぜ。』

その日本画の方というのは八十歳くらいの白髪の方だったんですね。

20、30分くらいしてその日本画の方が私の佛画を観てくださいまして

『なるほど なるほど』と言う感じだったんですね。

それから二、三日して日本画の方がやって来まして『やってるかな?どれどれ、不動明王の火焔はもっとこういう風な感じがいいね。』とアドバイスをしてくれまして

私もその日本画の方を先生と呼ぶようになったいったんですね。

先生がある日『今度一度家に遊びにいらっしゃい』と地図を渡してくださり遊びに行ったんです。

日本画の大家ですから、真っ先に私が一番大事にしている佛画の事をお尋ね致しました。

するとあれは曼荼羅だからこういう描き方が良いとか教えてくださり、本当にたのしかったんです。

先生の御人柄を尊敬致しました。

気品があり、おごらず、いつも穏やかな方でした。

 

ある日、

ソファーの横に座っていた先生がまっすぐを向きながら 私に話をはじめました。

『むかし、美術館に行った時に凄い瀧の画を観た

あまりのスゴさにその瀧の前から動けなかった

 

_ _  _ _画伯は音まで描いた』

わたしは、まっすぐ向いている先生の横顔を観て

一つの事を達するとは、全てにおいて達するという事

なんだと直感致しました。

その日先生は

わたしに佛画の名前を許してくださいました。

勢神(セイカン)

自分で名乗った名前と、日本画の大家が許してくれた名前では気持ちが違いました。

この勢神 は私の名前ですので、その名前の由来も含めての

今の佛教古美術 勢観(セイカン)で御座います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たまに

わたしに佛画を教えてくださった師匠はおります。

わたしに画を教えてくださった方もいらっしゃるんですね。

その方というのは むかし世界の舞台で、、という方なんです。

出逢いは有る事がきっかけで私の佛画を観ていただく事になったんです。

その時にその方がおっしゃったのは

『あなた、今歳いくつ?』

其にたいしわたしは、『いくついくつです』

と答えたんですね。

すると『菩薩とか描くの好きでしょ?繊細な感じが期待できるね』

『俺があんたと同じ歳の時と今のあんたなら、あんたの方が上手いから画を続けていかなきゃ』

そういう事がきっかけでその方から画を教えてもらったんですね。

『あくまでわたしは、佛画以外は描く気は無いです』とハッキリ言ったにもかかわらず、自分が使っていた筆をくれたり、浄土美術の話を聞いてくれたり、釈迦の話を聞いてくれたりと色々よくしてくださったんです。

どれ程二人で夜中までお酒をのみながら、美について語り合った事かわかりませんね。本当に仲良かったですから。

わたしは、その方には佛教を教えたんですね。

死んだらどうなるのか?

極楽浄土には必ずいけるのか?

家族に会う事ができるのか?

『酒の時のあんたより佛教を教えてくれる時のあんたはやっぱり頼りになるな-』なんてね

真剣に聞いてこられましたね。

ヨ-ロッパでとか、極めたとかってのは認められて初めてですから、一生ですよね。

わたしにしてみれば才能とは、佛画が好きか?違うか?が大きく左右している様にもおもいますけどね。

 

あれから随分ですね。

たまに思い出しました。

 

 

 

 

 

 

 

研究方法

佛画の研究といいますのは、書物以外でも情報をいただく事が出来るんですね。

板石塔婆

石からも研究が出来るんですね。

わたしは、数年前、佛画の研究の為に県外の博物館に行って参りました。

博物館の御陰様もあり古佛画を取り扱う事にあたり大変に大きな研究をする事ができました。本当に有り難う御座いました。

美術館に足を運んで佛画の素晴らしさを勉強させていただく。

博物館で研究をさせていただく。

御寺に行って佛像を御参りさせていただく。

標石から様々な知恵をいただく。

 

研究というのは、楽しいです。

わかった時より、わからない時の方がたのしいです。だから夢中になれるんです。

 

 

 

 

 

夢中になると

中世時代の佛画を観ますとね、

『やっぱり極められたんだな』とおもいますね。

菩薩の眼が域に達していますよね。

佛画でも佛像でもそうですが、

極めるとは、技法、知識だけでなく精神状態も佛画の頂点に達っしたとおもうんですね。

《佛画を既に極めてる》

此も認められて初めてだと私はおもいますね。

 

佛画を極めるとは、『此にて』でなくもっともっと研究したくなるんですね。楽しくて止まらない程に。

例えば、

1 今までの私では理解出来ない事に出逢う、

2 研究する、

3 2.3時間調べてもわからない、

4 時間がないからまた家で

そういう時が幸せですね。

わたしの場合ですが、

生きていれば大 小の悩みはとおもうんですね。

ですが

《佛画の研究、民間信仰》を研究する中で次から次にわからない事がありますと、あまり自分の雑念にばかりかまってられないという時が多いんですね。わたしは。

てっとりばやく言えば中世佛教民間佛画の研究があるから、雑念にばかり眼を向けている暇がない。という事なんですね。

悩み事=煩悩ですから一生ものなんですが、

佛画=研究もわたしには一生ものですので、どっちとなりますと、

研究が忙しくてまぁ

になってしまうんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この佛画にはこの表具?

佛画の表具というのは、空想しているだけでまた楽しいんです。

先程もお話致しましたが、

わたしは例えば

阿弥陀二十五菩薩なら《深目の紺無地》

不動明王二童子像なら《薄目の朱色》

釈迦涅槃図なら《紺無地》

貴狐天王なら《白..やっぱり紺ですかね》

紋入なら

白色8:水色2に透かしの紋、

白色8.5:水色1.5に本金織の紋、、

私の好きな佛画なら黒色7:紺色3に本金織

同色でどんすでも良いのかな 、、

 

色々とたのしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

為なら。

供養の為に佛画を御掛けするという事は尊い事とおもいます。

そういう佛画というのは、技法は超えています。

そういう佛画もわたしは観て参りました。

どれ程のおもいで描かれてのかは観た瞬間に伝わって参りました。

供養の為に、佛画を描く。

願いの為に、佛画を描く。

、、の為になら、

わたし、佛画は好きです。