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夢中になると

中世時代の佛画を観ますとね、

『やっぱり極められたんだな』とおもいますね。

菩薩の眼が域に達していますよね。

佛画でも佛像でもそうですが、

極めるとは、技法、知識だけでなく精神状態も佛画の頂点に達っしたとおもうんですね。

《佛画を既に極めてる》

此も認められて初めてだと私はおもいますね。

 

佛画を極めるとは、『此にて』でなくもっともっと研究したくなるんですね。楽しくて止まらない程に。

例えば、

1 今までの私では理解出来ない事に出逢う、

2 研究する、

3 2.3時間調べてもわからない、

4 時間がないからまた家で

そういう時が幸せですね。

わたしの場合ですが、

生きていれば大 小の悩みはとおもうんですね。

ですが

《佛画の研究、民間信仰》を研究する中で次から次にわからない事がありますと、あまり自分の雑念にばかりかまってられないという時が多いんですね。わたしは。

てっとりばやく言えば中世佛教民間佛画の研究があるから、雑念にばかり眼を向けている暇がない。という事なんですね。

悩み事=煩悩ですから一生ものなんですが、

佛画=研究もわたしには一生ものですので、どっちとなりますと、

研究が忙しくてまぁ

になってしまうんでしょうね。