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浄土教と阿弥陀来迎図(佛画ノ観方)

来迎引接ノ阿弥陀三尊

大聖釈迦牟尼世尊(お釈迦様)の御説きになられました浄土三部経には、念仏者の臨終時には、阿弥陀如来が観世音菩薩・大勢至菩薩を従え御迎えに御見えになられる来迎引接の御様子が御説きになられておられます。

【佛説無量壽経】巻上の第十九願では

原文:
設我得佛 十方衆生 發菩提心 修諸功德至心發願 欲生我國 臨壽終時 假令不與大衆圍繞 現其人前者 不取正覺

書き下し:
もし我れ仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心をおこし、もろもろの功徳を修し、至心に発願して、我が国に生ぜんと欲せんに、寿終の時に臨んで、もし大衆のために囲繞せられて、その人の前に現ぜずんば、正覚を取らじ。

【佛説阿弥陀経】では
阿弥陀如来の御来迎を目の前にした念仏者は、心が乱れ惑う事なくただちに阿弥陀如来の極楽浄土に生まれる事ができると考えられます。

言い換えれば阿弥陀佛が御迎えに御見えになられると言う事は、念仏者が断末魔の苦しみや死の恐怖にあわなくて済むためと考えられます。

また、阿弥陀聖衆来迎図(阿弥陀二十五菩薩来迎図)を鑑賞させて頂きますと、来迎印を結ばれた阿弥陀如来は摂取不捨の光明を放ち、観世音菩薩は慈手をさしのべ、大勢至菩薩は合掌をなされ念仏者を誉め称え、雅楽の御荘厳をなされた聖衆方が、御浄土(西方極楽国土)彼方より現れる御姿が描かれております。

◈藤原時代より今日まで伝わる阿弥陀三尊来迎図は【佛説無量壽経】巻上の第十九願(四十八願)に基づいてによって当時の佛画師によって絵画化された佛画である事と考えられます。

たとえ、どの様な形で御座いましても、数百年前、本物の佛画師によって描かれた佛画である事は、眼にした瞬間に伝わって参ります。

たとえ御姿がなくなっても数百年という歴史が御座います。

古い佛画、佛像の尊さは、表現できない程に有り難い事だとおもいます。

それはと申しますと、いくつもの大変な時代を超えられて今、数百年前の尊い阿弥陀三尊の御姿を拝ませていただく事ができる、その御縁が計り知れない程の御縁だからで御座います。

阿弥陀如来は来迎印(らいごういん)を結び摂取不捨(せっしゅふしゃ)の光明を御放ちになられる
聖観世音菩薩は金剛でできた台座をささげ慈手を差し伸べる
大勢至菩薩は『よくぞ今日まで念仏をとなえて参った』と合掌し念仏者をほめたたえその心を励まされる

この尊い阿弥陀聖衆の御来迎(来迎引接)を目の前にした念仏者は、来迎をまのあたりにして

【阿彌陀佛、放大光明、照行者身。與諸菩薩、授手迎接。觀世音大勢至 與無數菩薩、讚歎行者、勸進其心。行者見已、歡喜踊躍。自見其身 乘金剛臺、隨從佛後、如彈指頃 往生彼國。】

おどりあがって喜び、ふと自分を見ればその身はすでに金剛の台座に乗っている。そして佛の後につきしたがって、たちどころに※その国に生まれるのである。

※その国とは西方極楽浄土で御座います。

阿弥陀三尊の光明はまばゆく輝いていて はっきりと見ることができない。

『どれ程の黄金の輝きを集めても そのまばゆさには比べようもなかった』【佛説観無量寿経】より参考させて頂きました。

私(勢観)が、佛画を選ぶのではなく、佛様に描かれた阿弥陀様の方が私に御縁をくださった。

素晴らしい御縁をいただける様、精進に励む所存で御座います。

合掌 南無阿弥陀佛